前鼻家北海道入植100年記念式典

 昭和58(1983年)年6月25日ホテル札幌会館にて100年記念式典が開催されました。当時私はまだ15歳。まだ故直一翁も健在だった頃。前述の寿男翁の著作「我が道を歩く」にその時の集合写真が掲載されているのですが、懐かしい顔が写っています。家族が皆若いのでちょっとおかしい気もします。

 あれから23年が経ちます(2008年時点)から、開墾123年、再来年には125周年となるわけです。

 日本ではあまり馴染みがありませんが、欧米では、1/4(英語で言うとquarter)という単位が区切りになり、一世紀の1/4、つまり25年という区切りは大きな記念年(anniversary)になるのです。余談でした。

 前鼻家が北海道ではそれなりに歴史のある、開拓民の子孫なのだと気が付いたのは、多分この記念式典だったと思います。  写真を見ると、80歳以上現存者という垂れ幕があり、4名の名前しか列挙されていません。内、直一翁の名前もあります。なるほど、直一翁は、前鼻一族の中でも長生きだった方なんだと今知りました。その直一翁も今は亡く、記念誌を著作された寿男翁も数年前にお亡くなりになりました。  実は、寿男翁が最後に著作された米寿記念誌「今昔物語」の出版に際して、私が出版のお手伝いを担当いたしました。その頃は私もまだ若く、「年寄りの自費出版」程度にしか感じておりませんでしたが、今になって振り返り、著作を読み返してみるに、その偉業に改めて関心しているところです。  寿男翁の著作については、また別項目で触れてみたいと思います。

前鼻家の歴史

 前鼻」家というのは、明治18年に広島県より北海道札幌市に移住した、「前鼻村七」を開祖とする一族を指します。

※筆者注 個人的には、「村七」じいさんと呼びたいところなんですが、体裁を考えると、失礼ながら敬称略とさせていただき、今後は「村七」と記述することにします。  村七が広島県で小姓を勤めていた際に、国のお殿様に命名して頂いた姓が「前鼻」なので、「前鼻」姓の者は基本的に村七の子孫か、子孫の姻戚となるのです。

 私も、村七の子孫にあたります。村七から追っていくと、村七の長男である豊吉、豊吉の三男である直一、直一の長男である一郎の初孫が私ということになり、前鼻の六代目となります。実は最近気が付いたことなのですが、つまり、私の曽祖父である直一が長男であったとしたら、実は私が前鼻の直系にあたっていたわけで、それなりに先祖の方々にも責任を感じております。(このHPを運営しようと思うようになったきかっけ?)

 私が記憶に残っているのは、曽祖父の直一までで、それ以前の方々については全く記憶がなく、祖父に聞いて知る程度であります。曽祖父の直一は齢90過ぎまで健在で、私が15歳の年に亡くなっております。当時同級生に曽祖父が健在の友人はおりませんでしたから、かなり珍しい話でした。ちなみに、祖父一郎も現在健在で、まもなく90歳を迎えようとしており(2008年時点)、前鼻一族はかなり長生きの家系であると言えますね。

 今後、前鼻家の歴史について、ちまちまと更新していこうと考えております。基本的には、故前鼻寿男翁が残していってくれた前鼻家に関する内容を記載された、寿男翁の自叙伝3冊を元に記述していくことになると思います。また、祖父が健在な内に色々と聞き取りできればいいと思っております。(翁の書籍については追々触れていきます)

 なにせ仕事をしながらになりますので、どこまで書けるかは不明ですが、寿男翁に見習い、隠居後に取り纏めできるように、メモとして残していければよいかもしれません。

どうして前鼻になったの?

「前鼻」の由来

「前鼻」の姓を初めて名乗るようになったのは、山本豊吉という人物で、時は江戸時代に遡る。 元々広島の城主浅野家に足軽として仕えていた山本豊吉は、小姓として取り立てられ、その際に、「前鼻」という姓を頂いたという。名も、「村七」という名前をいただき、「前鼻村七」という姓名となった。これが、「前鼻」家の初めである。 「前鼻」の由来はというと、広島県人が「先」のことを「鼻」といい、村七の住まいが、広島より、島根にゆく道の、川に向かって曲がっている「前」の「先」(鼻)にあったため、だと言われている。 (参考:前鼻寿男著 「我が道を歩む」)

前鼻村七

前鼻家の開祖。元々山本豊吉という。 広島城主浅野家の足軽として仕える。後に小姓に取り立てられる。 同じ小姓に同姓同名の山本豊吉という者がいたため、城主に「前鼻村七」という名をいただく。 明治17年に北海道に渡り、札幌市西区西野の基盤をつくる開拓民の一人として札幌入りする。

前鼻家とは?

前鼻家の由来

「前鼻」の姓を初めて名乗るようになったのは、山本豊吉という人物で、時は江戸時代に遡る。 元々広島の城主浅野家に足軽として仕えていた山本豊吉は、小姓として取り立てられ、その際に、「前鼻」という姓を頂いたという。名も、「村七」という名前をいただき、「前鼻村七」という姓名となった。これが、「前鼻」家の初めである。 この前鼻村七が、明治17年に北海道へ渡り、また、明治20年に一家を連れ北海道へ入植したため、この「前鼻」家は北海道開拓民として純粋な道産子となったわけである。 よって、「前鼻」という姓名を名乗るものは、すべて、この前鼻村七の子孫か、又はその姻戚となるのである。 前鼻村七は最初、現在の北海道北広島市に移住したが、最終的に今の、北海道札幌市西区西野に定住し、その子孫も、その近辺を中心として繁栄していったことになる。 札幌では古い家系になると、知る者も多いが、日本では非常に珍しい姓となった。

(参考:前鼻寿男著 「我が道を歩む」)